もともと還暦を迎えた年に四国88霊場めぐり、お遍路さんをしてみたいと思っていました。残念ながらこのことに多くの時間を費やすことは出来ません。今年は午年に当たり、12年に一度の総開帳の年です。坂東33観音・秩父34観音ともに普段閉じている観音様の扉が開き、直に観音様と結縁出来るということなのです。
今年しかない。そんな思いで一番目の鎌倉杉本寺からはじまり、神奈川県9ヶ寺、東京都1ヶ寺、埼玉県4ヶ寺、茨城県6ヶ寺、栃木県4ヶ寺、群馬県2ヶ寺、千葉県7ヶ寺。途中秩父34観音を含めて、10月4日最後の館山の那古寺で67観音を結縁しました。
大東流中興の祖武田惣角先生は日光の二荒山神社で修業し、霊山神社で悟りを得ています。一刀流祖伊藤一刀斉先生は鎌倉の鶴岡八幡宮で夢想剣に開眼しました。先師武田時宗先生からは九字の秘法を頂き、笹森順造先生からはキリスト教の愛を賜り、大森曹玄老師からは鉄槌の慈愛を頂きました。神社・仏閣は、私にとって今は亡き師に逢いに行く場所でもあったのです。
観音様は本来観世音菩薩といいます。お役目は私たちに安心をもたらす菩薩様です。浅草の浅草寺の山門の額に「施無畏」の書があります。「おそれ無きを施す」すなわち「安心を提供する」そのような意味です。観世音菩薩は私たちを救うために33の姿に変身すると言われています。基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、十一面観音、千手観音などです。私たちが受け取りやすいように、幾重にもお姿を変えてくださる。
それぞれの観音様のお姿は実にいろいろな方に似ています。微笑んでいるようでもあり、叱っているようでもあり、悲しんでおられるようでもあり、励ましてくれているようでもあります。67観音めぐりは、今は亡き師との参禅の時間でもあり、自分との問答の時間でもありました。
最初、祈る事・願うことが何かいけないことのように感じてしまいました。大いなる観世音菩薩様に小さな人間の欲望や願いをお頼みしていいものか、一種の罪悪感を持ってしまったのです。しかし多くの観音様のお姿に包まれることでこれは徐々に消えていきました。消えたという感覚もなく溶けて行ったと表現した方が正しいかもしれません。
最初の頃、「観音様。今の生き方で良いでしょうか?」そうお聞きすると、時に師の裂帛の気合いを感じ、身の引き締まる思いをいたしました。これも数多くの観音様のお姿にお参りさせていただくうちに、自然に溶けていきました。ただただ照見することがうれしく、楽しく、そんな時間を過ごすことが出来ました。
「仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。」 感謝。合掌。