60歳を過ぎたらやろうと思っていた四国88霊場めぐり(お遍路)結願いたしました。先月台風で行くことのできなかった高野山にも直撃の台風の中行ってまいりました。壇上伽藍・金剛峰寺・奥の院のお礼参りも終了して一区切り付きました。お遍路だけで1400km、秩父34観音、坂東33観音、西国33観音の100観音が2500km。高野山や善光寺への距離を入れますと全部で約4000km。北海道宗谷岬から鹿児島の佐多岬を直線で往復した距離を超えます。
車巡礼とはいえ多くの距離と時間を走り、そして歩きました。
弘法大師を表す「南無大師遍照金剛」と背中に書かれた白衣と輪袈裟をまとい、金剛杖を突き菅笠をかぶります。まず山門で一礼し手水でお清めをしたのち、鐘を一回突きます。次に本堂で燈明・線香・賽銭奉納をした後、納札(おさめふだ)を納めます。般若心経・本尊真言などの読経を行い祈願します。次に大師堂に向い同じように燈明・線香・賽銭を入れ、納札を納めます。同じように般若心経・大師宝号などの読経を行い、祈願します。納経所(のうきょうじょ)にて、持参した納経帳(のうきょうちょう)にご朱印と本尊の名前を墨書していただき、各寺の本尊が描かれた御影(おみえ)を頂き、300円の納経料を支払います。
これをお寺の数だけ繰り返していくのです。ただ繰り返す、ただ歩く。次の寺でも次の寺でも。ひたすらに繰り返していく。このひたすらに繰り返し行うことに霊場巡りの意味はあるような気がいたします。
感じる事・思うことは、人それぞれでしょう。
お遍路が何かの役に立つのか?
と聞かれれば、意味があるような、無いような。
しかしながら日本の秩父・坂東・西国・四国のそれぞれの自然の素晴らしい風景と、季節の移ろいを体感できたことこそが、今の私の心の財産になっています。