秩父34観音、坂東33観音、西国33観音を昨年巡り終え、信州の北向観音、善光寺、100観音終了の秩父水潜寺にお参りをさせていただき結願いたしました。秩父34観音は100km、坂東33観音は1300km、西国33観音は1000km。信州への旅を含めると悠に2500kmは走った計算になります。北海道宗谷岬から鹿児島の佐多岬をはるかに超える距離です。
古人は当然歩いての巡礼ですからその苦労はいかばかりかと拝察されます。もちろん私は車を使っての巡礼ですからその距離を歩いたわけではありません。しかし駐車場から観音堂までの参拝路の多くは石畳の階段です。最も遠いところでは1時間半ほどの山道を歩かなければ到達できません。目的地まで歩くことには意味がある。そう感じざるを得ないのです。山道の階段は体に相応の負荷がかかります。この負荷に堪え登っていくと、雑談は消え無口になりひたすら登りを強要されます。これが一種の三昧を生み、心と体が一体化してまいります。そこに手を清め口を清め、読経をし観音様を拝顔する。観音めぐりはこの行の繰り返しです。剣や柔術の稽古を無心に繰り返す、そんな感覚に似ているのです。60歳を過ぎて一度はやってみようと発願しましたが、無形の満足感が感じられます。
無形の中に思わぬプレゼントがありました。それは西国巡礼の途中にありました。流祖新羅三郎義光公のお墓を発見したことです。滋賀県大津市円城寺の山の中にありました。大津市の史跡として地図の片隅にあったものを偶然発見しました。探すこと3時間。山の中をやっとの思いで見つけることが出来ました。昨年に先師武田時宗先生そして惣角先生の墓参りを済ませ、とうとう流祖の墓にお参りが出来ました。大東流を学ぶものとして大いなる意義を感じています。なお一層の精進を誓い、今年も精一杯頑張ります。