8月7日の夕刻より8月13日の昼まで恒例の勝浦合宿を開催いたしました。
これは本部長直々、集中的に門下生の皆様に技の修練は元より、武道の本然の意味と役割を身に着けていただくためのものです。決して外国人に向けて開かれているものではありません。国内の門下生に向けても開かれているのです。直々の合宿も本部長の年齢を考えるとあと数回が限度と思われます。
週一の稽古で10年の歳月を費やした国内の門下生より2回の勝浦合宿を終了した外国の門下生の技量が優れるのではないかとの感を強くしています。集中的に技を身に着けることの必要性を感じます。英名録によると、惣角先生が門下生宅に寄宿して指導しているのは1週間から2週間です。そこから多くの名人を輩出しました。もちろんそれを数回繰り返していくわけですが、何十年もの歳月をかけての指導ではありません。さらに当時としては高額の謝礼が発生しました。
外国の門下生は日本に来て滞在するのに、50万円ぐらいの費用を必要とします。10日間ほどの日時も費用となります。ちょうど惣角先生の時代の修練方法と合宿は似ているのです。来日する外国の門下生は心構えが違ってくるのです。
最終日に行われた演武大会をみれば一目瞭然です。今回国内の門下生の演武は素晴らしいものがありました。ただ、入門して数年の外国の門下生の演武は間、呼吸、理合等が包含された立派なものです。合宿の成果と言えるでしょう。
国内の門下生の皆さん、来年は時間を調整して合宿に参加してください。そして平成の名人になってください。
4月9日台東リバーサイドスポーツセンターにおいて恒例の古武道振興会による日本古武道大会が開催されました。
演武会の冒頭に新役員の発表がありました。
著名な古流の先生方が役員をされることなりました。わが大東流も近藤勝之本部長が常任理事に任命されました。私たちも武道発展と保存の為にお役にたてればと意を強くいたしました。
当日は本部長の代理として本部指導員の皆さんと演武をしてまいりました。 一般観客の皆さんにとっては、おそらく初めての大東流の演武、また他流の先生方の目前での演武はなかなか気を使うものです。 一番重要視していることは、礼法です。上座や観客の位置関係。礼を失することの無いように注意深く履行していきます。技の練習は当日しませんが、出入りには必ず確認してから演武を行います。その次は本部長に日頃から厳しく指導いただいている武道としての6要素をいかに表現できているかに気を使って行います。これからも大切にしたい心構えと思っております。
日頃から入退場の礼法や神前に対しての礼法が違うことを疑問に思っていました。
この大会で多くの先生方にお聞きすることができました。神道流の飯篠先生、大竹先生。柳生新陰流の柳生先生。立見流の加藤先生。一刀流の宮内先生。当流の本部長を交て意見交換ができたこと、とても勉強になりました。
英信流抜刀兵法の森本先生に西の道場は土間作り、関東以北は床張り道場。よって礼法は異なるとのご意見をいただきました。他流の先生方が集まる大会ならでは学びでした。ご指導いただきました先生方に改めて感謝申し上げます。
3月12日に伊勢崎市文化会館にて伊勢崎市重要無形民俗文化財指定を記念して古武道大会が開催されました。全国から15流派が参加しとても盛大な大会になりました。
水科先生のご苦労と努力の多さに頭が下がります。誠におめでとうございます。
無形文化財は、演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で、日本国や地方公共団体にとって歴史上又は芸術上価値の高いものを、「無形文化財」と定義しているようです。
気楽流柔術は、加賀藩主前田利家の家臣であった戸田越後守信正を流祖とする剣術、槍術、柔術を伝える総合武術です。現在伝承されているのは、柔術、棒術、鉄扇之術、十手之術、太刀之術、薙刀之術、契木(ちぎりき)之術、鎖鎌之術からなる180手だそうです。江戸時代中期には群馬県内に伝えられたとされ、1800年代には、伊勢崎地方での伝承が行われたようです。現在水科先生が第19代宗家として継承されています。
当日は本部長の代理として本部指導員の皆さんと演武してまいりました。
秩父34観音、坂東33観音、西国33観音を昨年巡り終え、信州の北向観音、善光寺、100観音終了の秩父水潜寺にお参りをさせていただき結願いたしました。秩父34観音は100km、坂東33観音は1300km、西国33観音は1000km。信州への旅を含めると悠に2500kmは走った計算になります。北海道宗谷岬から鹿児島の佐多岬をはるかに超える距離です。
古人は当然歩いての巡礼ですからその苦労はいかばかりかと拝察されます。もちろん私は車を使っての巡礼ですからその距離を歩いたわけではありません。しかし駐車場から観音堂までの参拝路の多くは石畳の階段です。最も遠いところでは1時間半ほどの山道を歩かなければ到達できません。目的地まで歩くことには意味がある。そう感じざるを得ないのです。山道の階段は体に相応の負荷がかかります。この負荷に堪え登っていくと、雑談は消え無口になりひたすら登りを強要されます。これが一種の三昧を生み、心と体が一体化してまいります。そこに手を清め口を清め、読経をし観音様を拝顔する。観音めぐりはこの行の繰り返しです。剣や柔術の稽古を無心に繰り返す、そんな感覚に似ているのです。60歳を過ぎて一度はやってみようと発願しましたが、無形の満足感が感じられます。
無形の中に思わぬプレゼントがありました。それは西国巡礼の途中にありました。流祖新羅三郎義光公のお墓を発見したことです。滋賀県大津市円城寺の山の中にありました。大津市の史跡として地図の片隅にあったものを偶然発見しました。探すこと3時間。山の中をやっとの思いで見つけることが出来ました。昨年に先師武田時宗先生そして惣角先生の墓参りを済ませ、とうとう流祖の墓にお参りが出来ました。大東流を学ぶものとして大いなる意義を感じています。なお一層の精進を誓い、今年も精一杯頑張ります。